「ねー。津山くん〜」
「いやです」
窓際一番後ろの席から外を眺めながら、俺は友人の言葉を最後まで聞くことなく否定する。
「……何にも言ってないだろ〜!!」
「数学の課題だろ。自分でやれ」
言葉を続けながらも俺の目線は外へと向かったまま。
「ケチー」
「なんとでも」

あ…。コケた。

フッと笑みがこぼれる。
「なに?何かあんの?」
俺の目線の先に面白いものがあると勘違いした友人が窓から身を乗り出して覗き見た。
「どれ?どこ??なに???」
「…」
「なぁ!お前のその珍しいほどの笑顔の元はどこだ?!!」
「……平井ってさ」
「平井?平井ってあの大人しい目立たない、あの平井?」
「泣き顔、可愛いよな」
ガタン…!!!
前に座っていた友人の椅子が数センチ下がる。
「お前って…冷血だとは思ってたけど…サドだったのか…」
俺は冷めた視線を向けた。
友人は両手で自分の顔を隠す。
「やめて!そんな男前な顔を向けないで!」

俺には目で追いかけてしまう子がいる。
隣のクラスの平井茜。
一年のとき同じクラスだったけど、正直存在はあまり知らなかった。
多分、同じクラスにいたときでさえ名前を聞いても「誰?」と返してしまうほどだったと思う。
それなのに、あの日以来、俺は彼女を見つけることが特技になってしまった。
それだけ、いつも探してしまってるのだと思う。

今も、俺はこの自分の席から彼女を見ている。
放課後、いつも決まってあのベンチで図書館で借りた本を読んでいる。
一日に何回かは必ずこける。
好きな飲み物は野菜ジュース。
購買部のメロンパンが好きで、本のお供は大体それだ。
自分でも笑ってしまうくらい彼女のことを知っていく自分がいる。

何度かクラスの女子が彼女の事を話してるのを聞いた事があって。
それを聞いて、少しだけ彼女の存在を意識した。
最初に知った彼女はいつも皆から外れた場所にいる女の子。
嫌じゃないのかな?って思ったことがある。
口答えなどしない「うん」という返事しか聞いた事が無い。

「明智さん、アンケートのプリント…まだ出てないんだけど…」
「ごめん、明日持ってくるから」
「あ…わかった。じゃぁ明日、お願いね」
わかった、なんて。もうそれで一週間も延ばされてるじゃないか。
その事で先生からも「早く集めろ」と言われているのを知ってる。
席を立った俺は明智と平井のそばに寄った。
「明智。困るのは平井だろ、期限は先週だったんだから。
コピーもらってきてやるから、今書いてやれよ」
「津山君…分かった……」
そう言って明智はかばんの中からくしゃくしゃのアンケート用紙を取り出し記入し始めた。

「津山君!」
廊下で呼び止められて振り返ると平井が息を切らして駆け寄ってくる。
その手には明智のプリントが持たれていた。
「あの…ありがとう。お礼、言いたくて」
顔を真っ赤にしてうつむく平井に、俺はため息を漏らした。
「あのさ、困るのは平井なんだし、期限が決まってた分悪いのは明智だよ。
あぁ言うときは、強く言って良いんじゃないの?」
はっと顔を上げた平井の顔が一瞬凍りついて、そして苦笑へと変わった。
「そう…そうだよね、現にこうやって津山君に迷惑かけちゃって…」
俺はその時始めて泣きそうな平井の笑顔を見た。
「ごめんね」
頭を下げて走っていく平井の背中を追いかけることに戸惑っていた。

廊下を歩いていると向から友人が走ってくる。
「賢吾ー!良かった!職員室付き合ってくれよ…赤点三つでさ…」
呼び出しを食らったらしい友人に腕を引かれ職員室に向かう。
内心、平井に会ったらどうしようかとドキドキしていた。
「せんせー来ました」
「来ましたじゃ無いだろ…お前なぁ」
笑顔の友人を前に、担任は大きくため息をつきうなだれる。
俺はそんな二人をよそに職員室を見渡した。
先生の机の上にも明智のアンケートはない。
「先生」
不意に声がかかり担任は説教の言葉を止め俺を見上げた。
「どうした?」
「平井は?」
「来てないが。平井がどうした?あ、平井探してるなら、早くアンケートを集めてくれって
伝えてくれないか?」
「アンケートなら、集まってますよ」
俺は急いで職員室を出た。
あいつ…どこにいるんだ…。


「…何、してんの?」
息を切らして、やっと見つけた平井は非常階段に座っていた。
俺を見上げる目は赤く染まっている。
「…深呼吸」
「泣きながら?」
あはは…と力なく笑う。
「私、感情を出すの下手なんだ。だから、いつも相手の言うことに「はいはい」って
頷いちゃうの…」
「そんなの…平井が損するだけだよ」
ひざを立ててそのひざに頭を乗せるとそのまま俺を見上げる。
「あのさ……いつも、こうやって一人で泣いてた…?」
ニコリと笑う。
「私、弱いから……」
そしてそのまま顔をひざにうずめる。
「一人でいっぱい泣いてね、そしてまた普通に笑うの」
膝にかかる吐息でこもった声がそう伝える。
「うん」

しばらくの沈黙の中、俺はその場を離れるきっかけを失っていた。
それに…何となく自分が泣かしてしまった気がして…。
顔を上げた平井に気づいて壁にもたれていた体を起こす。
「大丈夫だよ」
立ち上がってスカートを直す平井と目線があって、少し戸惑った。
「アンケート、先生に持っていかなくちゃね」
「……」
その笑顔が今まで見たものとは違って言葉を選ぶのに手間取っていると
平井は俺の横をすり抜けて階段を上っていく。
「ひ、平井…!!」
振り返った平井の髪がふわりと動いた。
「俺はお前のこと、弱いって思わないよ」
驚いた様子の平井がまた笑顔に戻る。
「ありがとう」

あれから平井とはなんの関係もなく、話すこともなかった。
そしてそのまま二年へと進級し、それぞれ別のクラスへと変わった。
笑って友達と話してるのを何度か見かけた。
「強くなったよな…」
泣いた後にあんなにきれいな笑顔を作れる平井は、強いと。
あの時本気でそう思ったんだ。
「お前さ、平井茜の事好きなの?」
俺の前の席の椅子に馬乗りになった友人が肩肘をつき頬を支えながら俺を見る。
「……かもな」
「え…?」
立ち上がった俺は教室を出る。
「数学のノート、カバンに入ってる」


こんなにドキドキするのはどれくらい振りかな。

今度はちゃんと話そう。
笑顔の君と、色んなことを話したい。
そして、伝えるから。




「ねぇ」

振り返る平井がまぶしそうに目を細める。
「何、読んでるの?」

そして笑顔へと変わった。




100のお題TOPへ
NOVEL TOPへ
TOPへ